略年譜
ホーム > 略年譜
落柿舎去来と芭蕉翁略年譜
寛永二十一年(1644)
芭蕉・伊賀上野に生れる。
慶安四年(1651)
去来・長崎の儒医、向井元升の次男として生れる。
萬治元年(1658)
向井家は京都に移り住む。
貞享二年(1685)
去来・この頃洛西嵯峨に別宅を構える。
元禄二年(1689)
芭蕉・『おくのほそ道』の旅に出る。去来・秋頃からこの庵を「落柿舎」と称する。 (落柿舎の位置は、拾遺都名所図会に「小倉山下、緋の社のうしろ山本町」とあり、いまの有智子内親王墓がその昔の緋の社であった)
十二月二十四日芭蕉は去来と落柿舎で鉢叩きを聞く。
元禄三年(1690)
芭蕉・四月六日〜七月二十三日、国分山の幻住庵に滞在、『幻住庵記』を草す。また大津の義仲寺境内の無名庵に居住。
元禄四年(1691)
芭蕉・四月十八日から五月四日まで再度落柿舎に滞在し『嵯峨日記』を草する。去来・この頃聖護院村からしばしば落柿舎に来庵。
蕉風俳諧の白眉、俳諧の古今集と言われた去来凡兆編『猿蓑』刊行。
元禄七年(1694)
芭蕉・閏五月二十二日に落柿舎を訪れる。『落柿舎制札』はこの頃に書かれた。芭蕉・九月郷里を出立、大阪へ向う。九月十日容態悪化。
十月十二日午後、病死。享年五十一歳。
十四日、大津・膳所の義仲寺境内に埋葬される。
元禄十二年(1699)
去来・三月『旅寝論』を書き終える。
元禄十五年(1702)
春頃、芭蕉俳諧の真髄を伝える『去来抄』の草稿に着手。
宝永元年(1704)
去来・九月十日朝、洛東聖護院近くの寓居にて病没。享年五十四歳。真如堂にて葬儀、同寺内の向井家墓地に葬られる。